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安田塾メッセージ№40     第12回安田塾の事後報告㊤

                                   2011年11月15日 安田忠郎
                    第12回安田塾を終えて

 第12回安田塾は、10月29日(土)に開催されました。 
 例会では最初、私が午後2時から30分、講師・谷川健司のプロフィールを紹介がてら、「私のアメリカ観」についてお話ししました。
 本号㊤では、そのトークの趣旨を敷衍(ふえん)して述べます。
 そして、谷川講師の講演については、次号㊦で谷川自らが文章にまとめます。

▲ 「第11回安田塾の事後報告㊤」(安田塾メッセージ№37)の(3)は、こう記しました。
 私・安田は「映画狂」、特に「アメリカ映画好き」のゆえに、「アメリカには全体として、多少の屈折はあっても、大変良い印象を持ちつづけてきた。特に小中時代の私の場合、海の彼方のアメリカに強い憧れさえ抱いていた」と。
 この点の意味合いを、私としては児童文学作家・灰谷健次郎(1934~2006)のエッセイ集『アメリカ嫌い』(角川文庫、2002年)を参照しながら、一層明らかにしてみます。
 彼は次のような「アメリカ批判」を表明しています。「はじめ、アメリカが嫌いになったのは、うんと幼いときで、当時、進駐軍と呼ばれていたアメリカ兵に、チューインガムやチョコレートを面白半分にばらまかれ、その屈辱が身にしみた。…/思想形成時代、韓国の民主化闘争やベトナム戦争をつぶさに見てきた。よくここまでやるな、というほどの陰謀と覇権主義に、アメリカにはほとほと愛想がつきるという気分にさせられる。/建国の歴史が先住民虐殺の歴史そのものであり、黒人に対する白人の差別と暴力主義は容易に克服されず、銃社会がしめすように、生命に対するこまやかさのきわめて乏しい国というのが、わたしのアメリカ認識だった。/アメリカスタイルの合理主義というのが、これまた曲者で、商業主義とつるんで、世界中を我がもの顔にのし歩く。/海外に出るようになって、この怪物の、他国への経済侵略、文化破壊のすさまじさに目を見張った。/日本も含めて、世界のおおかたの都市はアメリカナイズされてしまっている。」(同上書84-5頁)

 私はかつて70~80年代に、17年間の小学校教師経験を持つ彼のミリオンセラー『兎の眼』(1974年)を大学教職課程における私の授業の課題図書に指定しつづけました。
 同書は塵芥処理所の隣接する小学校を舞台に、大学を卒業したばかりの若い女性教師が直面する出来事や出会いを通して、児童たちと共に成長する姿を描いた作品です。そこでは、教師(大人)=管理=悪、子ども=自由=善という問題的な二項対立構造が垣間見えるものの、教師が子供に寄り添って共に考える「教育」の根本的なあり方が示されるとともに、学校教育の枠内では見捨てられてしまう底辺の子供たちの個性的なキャラクターが活写されています。
 
 しかし、『アメリカ嫌い』における彼のアメリカ認識・批判は、余りに概念的に過ぎます。
 なるほど同書には、「もしアメリカの文学、映画というものに出会っていなければ、わたしはアメリカを悪魔の住むとんでもない国だと思いこんでいただろう。/当たり前のことだが、アメリカにも思慮深い人、礼儀正しい人、心優しい人は数多くいる」(同85-6頁)という一文が盛り込まれています。
 ところが問題は、彼がアメリカ文学・映画に「出会った」にもかかわらず、何らアメリカ文化の豊かさに裏打ちされたアメリカ社会像を縁取るにいたっていないことです。
 彼は同書のなかで、「社会主義国(ベトナム―引用者註)にストリートチルドレンが多数いるというのは信じ難い話だが、これは現実なのである」、「社会主義国にも官僚主義がある」と言明しています(同181頁)。彼の場合、その思想的構えが社会主義=善vs.資本主義=悪のイデオロギー的枠組みに拘束されているために、アメリカ固有の問題状況を対象化できないのです。ましてアメリカの輝かしい長所を見つめ直せるはずがありません。
 彼のイデオロギー的姿勢では、第11回安田塾の講師・小川彩子(安田塾メッセージ№38参照)の次のような立言は、まったく理解の範囲を超えるものでしょう。「アメリカはヨーロッパ文化をしっかり引きずっており、固有の文化的背景をもつグループが『同化』でなく『共生』を目指している。それぞれの民族グループが先祖から受け継いだ人種的、民族的伝統や習慣などの文化遺産を守り、しかも他の文化も尊重して共生しようという多文化教育が、教師教育において、また現場教師の創意工夫によって促進されている。アメリカ社会を表現するのに今までの『人種のるつぼ』が『トッスド・サラダ(Tossed Salad)」に代わって久しい。固有の人種、民族は溶け合わず、ミックスしているだけのサラダのように、一人一人が個性を主張しているのである。」(『突然炎のごとく』春陽堂、2000年、207-8頁)

 私は、特に少年時代の私は、映画がたまらなく好きでした。とりわけ、強い個人の夢・理想があり、個性きらびやかに躍動する人物を創造するアメリカ映画を熱烈に愛したものです。
 小学生→中学生の私が見た、忘れがたいアメリカ映画は、例えば次のような作品でした。
・「モロッコ Morocco」1930年~監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ 主演:マレーネ・ディートリッヒ、ゲイリー・クーパー
・「駅馬車 Stagecoach」1939年~監督:ジョン・フォード 主演:ジョン・ウェイン、トーマス・ミッチェル
・「風と共に去りぬ Gone with the Wind」1939年~監督:ヴィクター・フレミング 主演:ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブル
・「哀愁 Waterloo Bridge」1940年~監督:マーヴィン・ルロイ 主演:ヴィヴィアン・リー、ロバート・テイラー
・「わが谷は緑なりき How Green Was My Valley」1941年~監督:ジョン・フォード 主演:ドナルド・クリスプ、モーリン・オハラ
・「断崖 Suspicion」1941年~監督:アルフレッド・ヒッチコック 主演:ケーリー・グラント、ジョーン・フォンテイン
・「カサブランカ Casablanca」1942年~監督:マイケル・カーティス 主演:ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン
・「心の旅路 Random Harvest」1942年~監督:マーヴィン・ルロイ 主演:ロナルド・コールマン、グリア・ガースン
・「誰(た)が為に鐘は鳴る For Whom the Bell Tolls」1943年~監督:サム・ウッド 主演:ゲーリー・クーパー、イングリッド・バーグマン
・「キューリー夫人 Madame Curie」1943年~監督:マーヴィン・ルロイ 主演:グリア・ガースン、ウォルター・ピジョン
・「荒野の決闘 My Darling Clementine」1946年~監督:ジョン・フォード 主演:ヘンリー・フォンダ、リンダ・ダーネル
・「白昼の決闘 Duel In The Sun」1946年~監督:キング・ヴィダー 主演:グレゴリー・ペック、ジェニファー・ジョーンズ
・「拳銃無宿 Angel and the Badman」1947年~監督:ジェームズ・エドワード・グラント 主演:ジョン・ウェイン、ゲイル・ラッセル
・「ジャンヌ・ダーク Joan of Ark 」1948年~監督:ヴィクター・フレミング 主演:イングリッド・バーグマン、ホセ・ファーラー
・「折れた矢 Broken Arrow」1950年~監督:デルマー・デイヴィス 主演:ジェームズ・スチュワート、ジェフ・チャンドラー
・「陽のあたる場所 A Place in the Sun」1951年~監督:ジョージ・スティーヴンス 主演:モンゴメリー・クリフト、エリザベス・テイラー 
・「クォ・ヴァディス Quo Vadis」1951年~監督:マーヴィン・ルロイ 主演:ロバート・テイラー、デボラ・カー
・「巴里のアメリカ人 An American in Paris」1951年~監督:ヴィンセント・ミネリ 主演:ジーン・ケリー、レスリー・キャロン
・「アフリカの女王 The African Queen」1951年~監督:ジョン・ヒューストン 主演:ハンフリー・ボガート、
キャサリン・ヘプバーン
・「真昼の決闘 High Noon」1952年~監督:フレッド・ジンネマン 主演:ゲイリー・クーパー、グレイス・ケリー
・「ナイアガラ Niagara」1953年~監督:ヘンリー・ハサウェイ 主演:マリリン・モンロー、ジョゼフ・コットン
・「終着駅 Stazione Termini」1953年~監督:ヴィットリオ・デ・シーカ 主演:ジェニファー・ジョーンズ、モンゴメリー・クリフト
・「シェーン Shane」1953年~監督:ジョージ・スティーヴンス 主演:アラン・ラッド、 ジーン・アーサー
・「地上(ここ)より永遠(とわ)に From Here to Eternity」1953年~監督:フレッド・ジンネマン 主演:バート・ランカスター、モンゴメリー・クリフト、デボラ・カー、フランク・シナトラ
・「ローマの休日 Roman Holiday」1953年~ 監督:ウィリアム・ワイラー 主演:オードリー・ヘプバーン、グレゴリー・ペック
・「慕情 Love Is a Many Splendored Thing」1955年~監督:ヘンリー・キング、主演: ジェニファー・ジョーンズ、ウィリアム・ホールデン
・「十戒 The Ten Commandments」1956年~監督:セシル・B・デミル 主演:チャールトン・ヘストン、ユル・ブリンナー
・「ジャイアンツ Giant」1956年~監督:ジョージ・スティーヴンス 主演:エリザベス・テイラー、ロック・ハドソン、ジェームズ・ディーン
 エトセトラ、エトセトラ…
安田塾メッセージ№40     第12回安田塾の事後報告㊤_a0200363_1444414.jpg 私は小学4年(10歳)のとき初めて、映画「シェーン」を見ました。映画のラスト・シーン、去りゆくシェーンを必死で引き止めるジョーイの「シェーン!!カムバック!!」の叫びが心に染みました。そして、テーマ曲「遥かなる山の呼び声」』(The Call for Far-away Hills、作曲:ビクター・ヤング、歌:ドロレス・グレイ) の調べに余韻が残りました。
 私は子供のころ、あくまで少年ジョーイの目線で物語を見ていました(⇒少年の目から見た英雄物語)。しかし高校生になってから、もう一度見直して、男女の三角関係(シェーンとマリアン、夫であるジョーとの間で生じる愛の葛藤)の話に気が付きました。
 「シェーン」はいろいろな要素―豊穣な人間味と美しい景色―が入り交じり、見れば見るほど隠された味に魅せられる作品です。「シェーン」こそ、子供は子供で楽しめるし、大人は大人で楽しめる、何度でも観たくなる「西部劇」屈指の名画です。
 

 当時の私が映画の真の価値を汲み取ることができたかどうかはおぼつきません。
 だが、いずれにせよ、思春期の向こう見ずな少年が絢爛たる娯楽性と芳醇なる文化性に恵まれたアメリカ映画に出会って、人間の意味⇒世界の意味を発見し再発見しつづけた点は間違いありません。アメリカ映画の伝える「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ American way of life」―アメリカの生活・思想・科学・教育・政治・宗教等―を通じて、少年のむき出しの視線は世界大の人間の生活と、その価値の普遍性に向けて、自然に開かれていきました。

 私は―少年期はおろか、青年期を経て今日に至るまで―、アメリカ映画から、人間の営為の偉大さ、世界の広さと厚みを学び取りつづけ、民主主義的諸価値に関する貴い示唆を受けつづけました。そして今なお、アメリカ映画の多くが私に心の糧と安息とをふんだんに与えてくれていることも紛れもない事実です。