安田塾メッセージ№39 【第12回安田塾】
2011年10月10日 安田忠郎
第12回安田塾のご案内
今回は、下記の要領で開催されます。
■ 例会
【日時】10月29日(土)午後2時~4時30分
【講師】谷川建司(たにかわ・たけし、映画ジャーナリスト・早稲田大学客員教授)
【テーマ】「ハリウッドと日本のアカデミア」
【講師略歴】
1962年 東京都生まれ
1989年 日本ヘラルド映画在籍中、「第1回東京デニス・ホッパー・フェスティヴァル」をプロデュースする
1997年 第1回京都映画文化賞受賞
2003年4月~05年9月 茨城大学人文学部助教授
05年10月~10年3月 早稲田大学政治経済学部教授
【安田のコメント】
私が谷川さんと初めてお会いしたのは、1999年9月、NY(ニューヨーク)のコロンビア大学(CU)においてでした。両人は同年から翌年にかけて、CUの東アジア研究所(EAI)に「客員」として長期滞在しました。
彼のCUでの研究報告「占領期におけるアメリカの対日映画政策」に、私は強く興味をひかれました。それは戦後日本の民主主義、一層具体的には私個人の「民主主義的」人格の形成にかかわって、大きな示唆に富む話でした。
また、私の心に焼きついた思い出の一つは、2000年3月、彼と私が連れ立って、NY→サンディエゴ→ロサンゼルスを周遊、特にハリウッド界隈をめぐり、映画俳優・監督のデニス・ホッパー(1936~2010) の自宅兼事務所を訪問したことです。
ホッパーと言えば、アメリカ映画史とアメリカのカウンター・カルチャーに大きな足跡を遺し、昨年5月29日に惜しまれつつ世を去りました。彼が監督・脚本・主演の三役を務めた、アメリカン・ニューシネマの代表作「イージー・ライダー」(1969年)は、1960~70年代の私にとって―ジャック・ニコルソン主演の「カッコーの巣の上で」(1975年) 、ロバート・デ・ニーロ主演の「タクシードライバー」(1976年)と並んで―、今なお鮮明に記憶に残る映画です。
谷川さんはホッパーと、プライベートな部分で、そして仕事の上で20年余に及ぶ交流を重ねてきました。
そして、彼はホッパーの供養のつもりで、去る2月5日、『アメリカの友人/東京デニス・ホッパー日記』(キネマ旬報社)を公刊しました。彼がいかに「人間デニス・ホッパーを通じて自分自身を見つめてきた」(同書)かは、言うまでもありません。
ところで、谷川さんは映画ジャーナリスト・映画評論家以外に、大学教師の仕事(専門は「映画史」・「大衆文化研究」)にも携わりました。2003年度から09年度にかけて7年間、茨城大学人文学部助教授→早稲田大学政治経済学部教授を務めました。彼は同書のなかで、自らの大学人⇔映画ジャーナリストの葛藤に触れて、以下のように述べています。
「…僕は映画ジャーナリストらしい仕事からはしばらく遠ざかることになった。/代わりに、翌2003年からは大学の専任教員となり、映画史の授業を中心とした教育と、大衆文化をフィールドとする研究者としての研究活動、そして所属する学部・研究科の運営や入試といった学内行政に忙殺される日々を送ることになった。」
「2009年は、職業人としての僕にとってひとつの岐路に差し掛かった年であった。すなわち、丸7年間を大学の専任教員として過ごした後に、自由な時間と自由なものの考え方を束縛される、組織の中での仕事に見切りをつけて客員教授として授業を受け持つだけのミニマムな関わり方に身分を変更し、本当に自分がやりたい仕事のために自分で自分の時間と仕事をコントロールしていく、という自らの原点に立ち戻る決意を固めたということである。
大学の専任教員であるということは、社会的なステイタスと安定した収入とが保証されるものである一方、失うものもまた大きい。」
「かつて1992年に、8年間務めた日本ヘラルド映画を退社してフリーランスの映画ジャーナリストになった際に、ほかの誰の言葉よりも僕に強い勇気を与えてくれたのは、デニス・ホッパーその人が言ってくれた次のような言葉だった。―曰く『自分を殺して誰かのために組織の中で働くというのではなく、インディペンデントになるということは、間違いなく一番よいことだ』 それから丸10年をフリーランスの映画ジャーナリストとして過ごし、その後の7年間を大学の専任教員として過ごしてきた僕にとって、権力争いのような非生産的なことに明け暮れる大学という職場で、否応なくそれに巻き込まれて、自分の時間を浪費し続けることへのストレスはそろそろ限界に差し掛かっていた。…」
【会場】武蔵野商工会館5階・第1会議室
【住所】東京都武蔵野市吉祥寺本町1-10-7
【tel】0422-22-3631(武蔵野商工会議所)
【アクセス】JR中央線&京王井の頭線「吉祥寺駅」中央口・北口(駅前ロータリー)・徒歩5分(サンロードを約150メートル直進→本町新道との交差点で左折→本町新道を約150メートル直進・右側)
【会費】1000円
安田塾には、どなたでも自由に参加できます。
今回ご参加を希望される方は、10月26日(水)までに、下記にご一報ください。
Eメール:tadyas2011@excite.co.jp
第12回安田塾のご案内
今回は、下記の要領で開催されます。
■ 例会
【日時】10月29日(土)午後2時~4時30分
【講師】谷川建司(たにかわ・たけし、映画ジャーナリスト・早稲田大学客員教授)
【テーマ】「ハリウッドと日本のアカデミア」
【講師略歴】
1962年 東京都生まれ
1989年 日本ヘラルド映画在籍中、「第1回東京デニス・ホッパー・フェスティヴァル」をプロデュースする
1997年 第1回京都映画文化賞受賞
2003年4月~05年9月 茨城大学人文学部助教授
05年10月~10年3月 早稲田大学政治経済学部教授
【安田のコメント】
私が谷川さんと初めてお会いしたのは、1999年9月、NY(ニューヨーク)のコロンビア大学(CU)においてでした。両人は同年から翌年にかけて、CUの東アジア研究所(EAI)に「客員」として長期滞在しました。
彼のCUでの研究報告「占領期におけるアメリカの対日映画政策」に、私は強く興味をひかれました。それは戦後日本の民主主義、一層具体的には私個人の「民主主義的」人格の形成にかかわって、大きな示唆に富む話でした。
また、私の心に焼きついた思い出の一つは、2000年3月、彼と私が連れ立って、NY→サンディエゴ→ロサンゼルスを周遊、特にハリウッド界隈をめぐり、映画俳優・監督のデニス・ホッパー(1936~2010) の自宅兼事務所を訪問したことです。
ホッパーと言えば、アメリカ映画史とアメリカのカウンター・カルチャーに大きな足跡を遺し、昨年5月29日に惜しまれつつ世を去りました。彼が監督・脚本・主演の三役を務めた、アメリカン・ニューシネマの代表作「イージー・ライダー」(1969年)は、1960~70年代の私にとって―ジャック・ニコルソン主演の「カッコーの巣の上で」(1975年) 、ロバート・デ・ニーロ主演の「タクシードライバー」(1976年)と並んで―、今なお鮮明に記憶に残る映画です。
谷川さんはホッパーと、プライベートな部分で、そして仕事の上で20年余に及ぶ交流を重ねてきました。
そして、彼はホッパーの供養のつもりで、去る2月5日、『アメリカの友人/東京デニス・ホッパー日記』(キネマ旬報社)を公刊しました。彼がいかに「人間デニス・ホッパーを通じて自分自身を見つめてきた」(同書)かは、言うまでもありません。
ところで、谷川さんは映画ジャーナリスト・映画評論家以外に、大学教師の仕事(専門は「映画史」・「大衆文化研究」)にも携わりました。2003年度から09年度にかけて7年間、茨城大学人文学部助教授→早稲田大学政治経済学部教授を務めました。彼は同書のなかで、自らの大学人⇔映画ジャーナリストの葛藤に触れて、以下のように述べています。
「…僕は映画ジャーナリストらしい仕事からはしばらく遠ざかることになった。/代わりに、翌2003年からは大学の専任教員となり、映画史の授業を中心とした教育と、大衆文化をフィールドとする研究者としての研究活動、そして所属する学部・研究科の運営や入試といった学内行政に忙殺される日々を送ることになった。」
「2009年は、職業人としての僕にとってひとつの岐路に差し掛かった年であった。すなわち、丸7年間を大学の専任教員として過ごした後に、自由な時間と自由なものの考え方を束縛される、組織の中での仕事に見切りをつけて客員教授として授業を受け持つだけのミニマムな関わり方に身分を変更し、本当に自分がやりたい仕事のために自分で自分の時間と仕事をコントロールしていく、という自らの原点に立ち戻る決意を固めたということである。
大学の専任教員であるということは、社会的なステイタスと安定した収入とが保証されるものである一方、失うものもまた大きい。」
「かつて1992年に、8年間務めた日本ヘラルド映画を退社してフリーランスの映画ジャーナリストになった際に、ほかの誰の言葉よりも僕に強い勇気を与えてくれたのは、デニス・ホッパーその人が言ってくれた次のような言葉だった。―曰く『自分を殺して誰かのために組織の中で働くというのではなく、インディペンデントになるということは、間違いなく一番よいことだ』 それから丸10年をフリーランスの映画ジャーナリストとして過ごし、その後の7年間を大学の専任教員として過ごしてきた僕にとって、権力争いのような非生産的なことに明け暮れる大学という職場で、否応なくそれに巻き込まれて、自分の時間を浪費し続けることへのストレスはそろそろ限界に差し掛かっていた。…」
【会場】武蔵野商工会館5階・第1会議室
【住所】東京都武蔵野市吉祥寺本町1-10-7
【tel】0422-22-3631(武蔵野商工会議所)
【アクセス】JR中央線&京王井の頭線「吉祥寺駅」中央口・北口(駅前ロータリー)・徒歩5分(サンロードを約150メートル直進→本町新道との交差点で左折→本町新道を約150メートル直進・右側)
【会費】1000円
安田塾には、どなたでも自由に参加できます。
今回ご参加を希望される方は、10月26日(水)までに、下記にご一報ください。
Eメール:tadyas2011@excite.co.jp
by tadyas2011
| 2011-10-10 14:24
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