安田塾メッセージ№33      ある学校法人(2)

                                   2011年8月15日 安田忠郎
           学校法人・五島育英会とは何か―個人史を振り返りながら―(2)

【破】 自由からの逃走 
 

 そもそも学校法人・五島育英会(以下、文脈上許せば【育英会】ないし【法人】)とは、どのような組織体なのでしょうか。 
 武蔵工業大学(以下、文脈上許せば武蔵工大ないし工大)に28年間(1980.4~2008.3)在職し、その弊風の改革に努力しつづけた私は、結論的に断言してはばかりません。【育英会】は青少年の「教育」―可能態から現実態」への転化―という「公共性」の高い重要な仕事を行うにふさわしい「学校法人」ではない、と。
 私は長い間、【育英会】という組織の体質を、「大学・学校・教育・学問とは何か」の視点に立って、批判的・構造的にとらえ返しつづけてきました。その全面的批判の開陳は他日に譲ることにし、ここでは次のような組織上の根本的な問題点を4点指摘するにとどめます。それらは【育英会】のあり方を突きつめて考えようとするとき、けっして外してはならない、相互に連関する重大なポイントにほかなりません。
 

 (1)【法人】[1955年設立、創設者(初代理事長)・五島慶太]は、「東急グループ」―東急電鉄(創業者・五島慶太)を中核とする266社9法人(2010年3月末現在)からなる企業グループ―に属する1社である。
 [ちなみに、東京急行電鉄株式会社(公式略称は「東急電鉄」、1922年設立の目黒蒲田電鉄に始まる)は、東急グループ内外を問わず東急グループの事業中核会社として認識されており、「東急本社」・「電鉄本社」と表現されることが多い。]

 問題は【法人】が歴史的に東急電鉄の支配・影響下に置かれ、前者の「理事長」人事―「理事長は、学校法人を代表し、その業務を総理する」[私立学校法(1949年)第37条第1項]―にしても後者に管掌され、現に後者の役員(副社長・専務取締役)が「天下る」傾向が著しい点である。
 (註:【法人】の役員人事の場合、理事長だけでなく、専務理事および常務理事も、多少の例外はあるものの、東急電鉄or東急グループOBの指定席に成り果てている。)

 (2)【法人】の運営する学校群で中枢に位置する学校は、武蔵工大⇒東京都市大学である。
 [ちなみに、工大⇒東京都市大学は、武蔵高等工科学校に端を発する。すなわち、1929年「武蔵高等工科学校」(各種学校)を開校→42年「武蔵高等工業学校」(専門学校)へ昇格→44年「武蔵工業専門学校」へ改称→49年「武蔵工業大学」(新制大学)を開設→2009年工大が「東横学園女子短期大学」(1956年【法人】が設立)を統合して「東京都市大学」と改称。] 
 
 問題は工大の「学長」人事―「学長は、校務をつかさどり、所属職員を統督する」[学校教育法(1947年)第92条第3項]―の実権を、【法人】(理事長←東急電鉄)が手中に収めている点である。
 
 ところで、大学は―私立大学といえども―、単なる会社(営利社団法人)ではない。いやしくも学校教育法で、こう規定された存在である。「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」(第83条第1項)、「大学は、その目的を実現するための教育研究を行い、その成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする」(同第2項)。[cf.(新)教育基本法(2006年)第7条:「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」]
 そして、戦後日本の「民主主義」下の大学は、何しろ日本国憲法(1946年公布・翌年施行)によって「学問の自由」(第23条)⇒「大学の自治」⇒「教授会の自治」が保障された組織体である。 
 「学問の自由(アカデミック・フリーダム)」は、現代民主主義社会における基本的人権の一つである。そこには、具体的に「研究の自由」・「研究発表の自由」・「教育ないし教授の自由」が含まれる。そしてその延長上に当然、主たる学問の場である「大学の自由」、また「大学の自由」を保障するための組織原則である「大学の自治」、さらには「教授会の自治」が含まれる。

 【法人】は一応、工大の「学長」人事に対して、「民主主義」的選挙としての体裁を取り繕う。
 そこでは、3年ごとの学長「選」に際して「学長候補者推薦委員会」が立ち上げられる。同委員会は〖大学側〗委員=「教授会」の代表者と、【非・大学側】委員=「理事会」の代表者+「評議員会」の代表者で構成され、「合議」の結果、学長候補者1or2名を選出する。
 そして、【法人】の「理事会」―「学校法人の業務を決し、理事の職務の執行を監督する」(私立学校法第36条第2項)―では、同委員会において推薦された学長候補者から学長を選定し、理事長がこれを任命する。 
 
 これは一見すると、工大側の「総意」を何らか汲み上げた方策のように思われる。
 だが、問題の根は深い。注意すべきは、同委員会を構成する【非・大学側】委員と〖大学側〗委員の量的関係において―絶対数自体に歴史的変遷はあっても―、前者が後者より相対的に多いという点である。同委員会では、前者の後者に対する数的優勢が常態化しているため、総じて前者の思惑どおりに事が運ぶことになる。
 【非・大学側】委員(「理事会」・「評議員会」の互選による代表者)とは誰か。彼らは【法人】(←東急電鉄)の「特殊意思」(=組織的利益)の体現者―具体的には、工大以外の【育英会】ないし東急グループの関係者―にほかならない。同委員会の席上、彼らは結局、その特殊的組織益にかなう「学長候補者」を選出することに汲々とする。
 そもそも【法人】の意思決定機関たる理事会および評議員会では、その数的構成が工大教員よりも東急グループ主要企業の役員・OBが圧倒的に多い以上、「衆議」自体の必然的帰結が見え見えである。  
 
 〖大学側〗委員にとって、学長選(同委員会→理事会)の帰趨する所は明白である。誰が学長になるかは分かっている―。この、とんでもない、否、滑稽きわまる事態に直面して、彼らはどのような態度を取るにいたるか。
 彼らは総じて―全教授の互選投票でどういう顔ぶれがそろうかは時代状況に左右されるとはいえ―、この茶番に組するか、はたまた反発するかに分かれる。「偽装民主主義」に依拠する同委員会において、彼らの多くは諦めムードに包まれて、【非・大学側】委員(=育英会の特殊意思)に妥協する・擦り寄る・馴れ合う者であり、彼らの一部はごく少数ながら、大学の理念ないし「一般意思」(ルソー)にこだわり、【非・大学側】委員に負け戦を百も承知で反抗し、ぎりぎりまで挑戦する者である。

 (3)【育英会】には教員、事務員、そして「技術職(員)」(技術員)が存在する。ここでは、事務員のありようを問題視したい。
 【育英会】に採用・雇用された事務員は、【法人】事務局(本部)および傘下校(「東京都市大学グループ」+東急自動車学校)事務局・事務室に配置される。2011年度現在、【育英会】全体の専任事務員は計約230余名、その内、【法人】事務員が約40名、大学事務員が約150名(ほぼ半数が女子、cf.大学専任教員計260余名)である。(ちなみに、同年度の専任技術員は計110余名であり、その約50名が東京都市大学、約60名が東急自動車学校に所属する。)
 憂うべき問題は、【育英会】における全事務部門が「人材」に乏しく、中でも幹部事務員に「力量」不足も甚だしい者が多い点である。

● 大学の事務員に関して、私は学生時代の忘れがたい思い出話のワンシーンに触れてみたい。
 1967年5月の在りし日のこと、私たち大学4年生数人(慶應大学経済学部ゼミ仲間)は、ある飲み屋で、「就職」談議に花を咲かせた。時あたかも高度経済成長期であり、就職先がより取り自由の状況下、私たちは「1度しかない人生における身過ぎ世過ぎとは何か」をテーマに、談論風発に興じた。
 「会社に勤め、給料をもらい、メシを食うって、どういうこと?」、「「資本主義社会じゃ銀行なんかが一番安泰か」、「資本主義の弱肉強食の世界を駆けめぐってみたいね」、「今から定年時の退職金の計算しているオメデタイ野郎がいるぜ」、「名誉とか地位とか財産とかにとらわれない生き方って魅力的だ」、「フリーの一匹狼には作家生活なんてふさわしいのかな」、「すまじきものは宮仕えさ」等々。そしてさらに、次のような会話が消えがたく私の記憶に残った。
 学友N「大学(KEIO)で来年度、事務員を募集する話を知ってるか?」
 学友O「事務員は普通、高卒採用じゃないのか…」
 N 「高卒だけでなく、大卒も採用するとのことだ。」
 O「学校の事務屋に大卒が必要なのかね。だいたい、学校事務―学校事務員が行う事務―なんてのは、ルーチンワークの典型で発展性のない仕事だからな。KEIO卒で学校事務屋になるようなヤツは、それこそ『アホ』『おバカさん』だろうよ。」
 学友K「しかし、学校には会社に比べて、時間に余裕がある。特に大学には長い夏休みがあるしね。この時間を活用して心豊かに生活できれば、これ幸いだ。大学の事務員になる選択肢も軽視すべきではないよ。要は<生きることの核>さえ手放さなければ、どんな仕事に携わっても構わないだろう。」
 私「なるほど、ものは考えよう、どんな職業に就こうと結局は、自分の生き方の質が問われる。自分自身としては、<生の核>に生々しく迫る手応えのある生き方をいつまでも追求したいね。」
 学友H「僕にとって学校の事務員も教師も、全く興味のない職業だ。事務屋についてはOの話に共感するし、教師については論より証拠、これまで小中高をとおして魅力的な教師に出会ったことがなく、KEIOの教師にしても言行不一致のいい加減な連中が多すぎるし…。僕としては、ただ無目的に、惰性で生きたくはない。あくまで今の時代の最前線で活躍してみたい。資本主義が問題的な社会構成であろうと、この現実のただ中―例えば市場争奪戦―で自分の能力を最大限に発揮してみたい。」
 [ちなみに、前出の学友O=大野恒邇(私より4歳年長)はドイツで起業後に雨の朝パリに客死(60歳)、K=河上博昭(私より2歳年長)思想的流転の旅路をたどって頓死(52歳)、H=花渕節夫(私と同年齢)は銀行マンとしての立身出世の途上で急死(53歳)。あるいは人生朝露の如し、あるいは人生無上の愉快…。]

● 学校事務員は一般に、会計・給与・福利厚生・服務・文書・施設管理等々の事務を処理する。この学校事務は確かに―旧友Oが喝破したように―、基本的にルーチンワーク(日常的に繰り返される業務・作業)そのものであり、あらかじめ決められた段取りや流れに従えば、本来的に誰にでもなしうる仕事である。
 
 私はかつて北炭幌内炭鉱で、学校事務員と同様なルーチンワークに携わったことがある。1968年10月に同鉱「労務課」に配属された私は、「外勤」の職務―「部落」(炭住が集合する地域)管理―に励むかたわら、いっとき(同年12月~翌年1月)「内勤」の職務―給与・福利厚生・備品照合・労働協約手続き・官庁指定統計ほか―に一臂の力を貸した。
 私自身の同課「内勤」体験によれば、「ルーチンワーク」といわれる定期的な事務作業は、一種の「パターン認識」による、単調・平板・容易・退屈な仕事であり、初歩的な手ほどきさえあれば、(旧友Oの侮言どおり)どんな「アホ」・「おバカさん」でも、費やす時間の長短こそあれ、ほどよく処理・遂行することのできる仕事である。
 実際、当時の「内勤」専従者―社員13名(役職者を除く平社員)+鉱員6名―は押しなべて、該ルーチンワークを細大漏らさず、そつなく―自己流ににムダ・ムラ・ムリを無くす工夫を重ねながら―やりこなしたものである。 
 ただし、そこに1人の例外者Uがいた。彼は最終学歴が戦前の小学校卒で40台の鉱員である。彼は決まりきった日常の「社会保険」の事務でも、ややもすると思案投げ首で、惨憺たる苦心を払いつづけた。彼には、自らの本源的な「能力」(=物事を成し遂げることのできる各人の総合的な力)の何かが欠けていた。
 私はデスクワークの万事に悪戦苦闘する彼の様子を見かねて、つい何度となく手を貸した。彼は私の助力を受ける度に、こくんとお辞儀し、思わず知らず破顔一笑したものである。その瞬間の、純粋な善意に満ちた人懐こい屈託のない彼の笑顔が今も、くっきりと私の瞼に浮かんでやまない…。 
 ちなみに、当時の同課「内勤」員19名の学歴は、社員2名が大卒、残りの社員が高卒、鉱員が高卒or中卒or戦前の小卒[2名 (Uを含む)]である。そして、同課「外勤」 員計60名はすべて鉱員であり、彼らの学歴は高卒or中卒or戦前の小卒(約20名)である。また同課の役職者(内勤・外勤の総轄)の学歴は、M課長が東大経済学部卒(M=政安裕良のことは「安田塾メッセージ№21」を参照)、T課長代理が早大政経学部卒、K係長およびS係長が戦前の小卒(⇒実務家上がりの苦労人)である。
 なお、当時の私は同課の数少ない大卒の「新入社員」として、外勤と内勤の双方にまたがる労務本務を全うする「一従業員」であるとともに、どこまでも炭鉱現場の視点から、日本資本主義の原点たる石炭産業の本質を一心に追究する「一学徒」であった。

● 問題の【育英会】の事務員は一体、どのような力量の持ち主であるのか。彼ら事務員の面々は、問題のルーチンワークに対して、どういう態度を持し、どういう能力を発揮してきたのか。
 私は二十数年間、武蔵工大の一教師として、多くの「【育英会】-工大」事務員の言動をつぶさに見聞しつづけた結果、いたく思い知ったものである。彼らの能力の質では全般的な傾向として、当のルーチンワークを何とかやり遂げるだけで精一杯であり、仕事内容の「目的合理性」(マックス・ヴェーバー)⇒効率化を進める点にいたってはおよそ思案の外である、と。 
 彼らの学歴は、ごく少数が高卒ながら、女子がほとんど短大卒であり、男子がほとんど4年制大学卒である。私は時代状況が余りに異なるにせよ、彼らの学歴と炭鉱マンのそれを比較するとき、感情が複雑怪奇にねじ曲がり、名状しがたい感慨に浸る。 
 人間の成長・発展史上、「学歴」と「能力」が比例しないことは周知の事実である。学歴自体がより高まれば(小卒→中卒→高卒→短大卒→大卒)、それだけ総体的な能力もより高まるなどというのは、愚かな謬見以外の何物でもない。各人の人生行路上、決定的に重要な問題は、発達段階の折々の節目で、いかに伸びやかで瑞々しい感性を培かったかである。そして、素朴で素直な、あふれんばかりの好奇心(⇒知性と感性の相互促進化)をはぐくみつづけたかである。
  私は率直に問わざるをえない。果たして、彼らは尽きない可能性を秘めた青少年時代をとおして、多少なりとも夢にチャレンジし、想像力を飛翔させ、豊かな発想力⇒構想力を喚起しつづけただろうか。彼らは多感な青春の一時期に、またたく間の出来事であろうとも、遠大な理想を抱き、理想と現実のギャップに苦しみ、理想と現実の接点を探す努力を重ねただろうか、と。 

 工大時代の私は、彼ら学校事務員の生態を目を逸らさずに直視しつづけた。
 彼らは全体的に、視点―物事を考える立場―が余りに硬直化し、チャレンジ精神―困難な問題や未知の分野に立ち向かう意欲―が余りに阻喪し希薄化している。彼らは学校事務のルーチンワークに呪縛された、その意味での「タコツボ型人間」にほかならない。
 なぜに、彼らが実務のタコツボにはまり、そこから脱出できない状態下にあるのか。
 よって来たるゆえんは第一に、前述の通り、学校事務職に就く以前の彼らの生き方(広義の思想的たたずまい)が問題的である点である。
 私は彼らの、一事が万事杓子定規なやり方に呆れ返るとき、決まって、郷愁のように、炭鉱人(ヤマびと)の躍動する人間的たたずまいを思い起こしたものである。私が見知ったヤマびとは、一種異様な炭鉱世界(地上と地下の往還)の日常に封殺された自らの生そのものを、幼少時から豊かな現場感覚・生活感覚を鍛えつづけながら、また独自の時間意識に基づく死生観(感)→「自然-世界-宇宙」観(感)を紡ぎつづけながら、ひたすらに貪り、しぶとく生き抜いていた…。  
 第二に―これが第一より一層重大な事態を来たす点―、彼らを雇用したところの【育英会】⇒傘下各校という場がもともと「開かれた社会」(カール・ポパー『開かれた社会とその敵』)には程遠い点である。
 この点に関して、前掲(1)の「理事長」人事、(2)の「学長」人事のありさまが重要な示唆に富む。両人事が実質上、【法人】(←東急電鉄ないし東急グループ)の特殊意思によって壟断されつづけた事態こそ、そのままに【育英会】という組織の閉鎖性を物語っている。
 私は工大事務局幹部の口からよく聞かされたものである。「我々は言えない、言わない、言う必要がない」と。
 
 【育英会】(←東急電鉄)は、個々人の利害関係(地位・財産・名誉等⇔裸の自然的生)が絡む、したがって欺瞞(ニセモノ)をはらみ、虚飾(欺瞞をホンモノとして押し付ける手段)に満ちた、一種の「権力支配」の秩序である。そこは批判の自由―「批判はどのような手段で行ってもよい」―が許されない、権威主義に染まった「閉じられた社会」(ポパー)である。ここでは、各人が利害に生きている限り―例えば、オイシイ餌につられて、「もっと出世したい」・「もっと給与を弾んでくれ」・「もっと名誉が欲しい」という具合に―、自発的・心情的に、その権力支配の構造(掟=観念的価値形態)に参入せざるをえない(「強制された“自発的”心情」→もたれ合い)。
 【育英会】事務員各員は、どう生きようとするのか。彼らは果たして、「ニセの意識」が瀰漫する【育英会】ムラのシガラミを断ち切ることができるだろうか。「利害」共同体の大勢順応主義(コンフォーミズム)に組することなく、自分の「志操」を守り、「心に納得できないこと」をしないで済ますことができるだろうか。彼ら一人一人は実際に、「自分とは誰か」・「自分は何者か」という問いを立て、自分を見つめ、自分の立ち位置をはっきりさせることができるだろうか。容易ならざる重荷を背負い込む彼らの行く末やいかに―。



 (4)ここでは、【法人】傘下校の一校・武蔵工大に勤務する教員のありようを問題にする。
 私は【序】(前号=№32)のSとの会話で、日本の、私が関与する学会の「学者・研究者」像に若干言及した。この学者・研究者の大方は、大学教師(専任or非常勤)として、大学生に対して主として経済学or教育学or社会学or哲学or歴史学のいわゆる文(科)系の学問を教授する。私は学会の会合(研究発表会・講演会等)に出席するたびに、彼らの呈する、独善的な「専門バカ」現象に、幾度となく閉口して苦笑したものである。
 では、武蔵工大教員の学問的たたずまいは、どうであろうか。
 工大は1949年度から96年度まで工学部のみの単科大学であった。ところが、97年度に環境情報学部を、2007年度に知識工学部を、2009年度に都市生活学部と人間科学部を開設し、工大は東京都市大学と改称、今や「5学部16学科を擁する総合大学」といったスローガンを掲げるにいたった。
 この内実はまさに上げ底(「誇大広告」)である。知識工学部が従来の工学部の二分の産物である点、都市生活学部と人間科学部が「東横学園女子短期大学(2学科)」の再編―各学部1学科のみ―である点に照らせば、それは明々白々な事実である。今後、【法人】が羊頭狗肉の策を弄するほどに、工大⇒東京都市大学の足元が時代の激浪に絶え間なく翻弄されることであろう。
  工大の専任教員数は2011年5月1日現在、計264(44)名、その内、工学部教員が104(7)名、知識工学部教員が73(8)名、環境情報学部教員が45(12)名、都市生活学部教員が20(3)名、人間科学部教員が16(12)名である。[註:知識工学部には従来の「教養課程」が再編された「リテラシー学群自然科学系」と「リテラシー学群人文社会科学系」が含まれ、教員数は前者が10名、後者が20(3)名である。なお、( )内は女子で内数。]
 工大の全教員(専任)に対して「工学部+知識工学部」(=旧工学部)教員の占める割合は70%である。工大の基本は、客観的・実質的に依然として「工学部8学科+知識工学部4学科」の体制である。この「工学部+知識工学部」に所属する教員は―「リテラシー学群人文社会科学系」教員を除いて―、大づかみに言えば、数学・物理学・化学→工学のいわゆる理(科)系の学問を教授する。彼ら理系教員の「専門」知の専門性は、どの程度の状態下にあるのか。 
 私はこの四半世紀、特に1990年代以降の工大「改革」の歴史を否応なしに背負いつづけた日々を通して、つくづく思い知ることができた。彼ら理科系教員の圧倒的多数が私の見知った文系教員以上の「専門バカ」症状を示している、と。(前号冒頭に紹介の拙論「専門知と教養」は、この工大教員の「専門バカ」のバカさ加減を冷厳に分析したものである。)
 
 私は十数年前のある時、工大・機械工学専攻のZ(教授)と差しで話し合った際、次のような彼の述懐・告白を耳にとめた。 
 「…私が武蔵工大に来て、もう20年近くが経ちました。この間、正直言って、マイナーな研究に埋没し、実験に追われるばかりで、専門書(工学)以外の書物を1冊も読んだことがないんです。その専門書を読むにしても、大学院(東京工業大学)時代はともかく、武蔵工大の教師になってからは、きわめて領域が限定された読み方ですしね…。私はこういう研究者としての生き方に疑問を覚える昨今なんです。何かコンプレックスがたまるというか、例えば安田先生のような自由闊達な人を見ると、しばらく考え込むんです…」
 その後、私はある機会をとらえて、教養課程の物理学専攻のI(助教授)にこの話をしたところ、返ってきた言葉は、こうであった。
 「…まだZ先生が専門書を何とか読んでいるだけでも、立派なもんですよ。武蔵工大の専門学科の教員たちのほとんどが、実験(実習・演習)のための実験の毎日で、狭い専門の自己運動の罠に陥ったロボットなんです。彼らの場合、生涯にわたって、まともな専門書を何冊読むか、少なくとも近代自然科学の古典を熟読する者は数えるほどしかいないでしょう。ましてリベラルアーツに関わる教養書とか、思想・哲学関係の本とかに目を配るなどは問題外もいいところです。…僕は時々、自分もその一員である学者・研究者がこれでいいのだろうかと反省しています。特に問題なのは、こういう類(たぐい)の研究者に若者相手の教師が務まるのかということです。…」
 
 日本の大学教員は、一般に研究者として自らの専門とする学問に忠誠心を持つ。しかし問題は、当の研究者が分化した専門の、どのレベルの専門性に自足しているかである。専門知の「タコツボ」に閉じこもり、一方向に偏した専門性が飽かず自己運動化した、いうところの「専門バカ」の一群が、いかなる大学社会にも存在する。
 この「専門バカ」現象は、程度の差こそあれ、どの研究分野にも現われる。ただし、学問の生成史・発達史の観点から、特に日本における専門知・技術知の展開過程に即していえば、文系よりも理系の、とりわけ理学(自然科学の基礎研究)よりも工学(応用的科学技術)の研究分野ほど、「専門バカ」量産の傾向が高まる。
 私は工大に着任直前、身近な知人-単科大学から総合大学へ転職した教師-から、よく聞かされていた話がある。「単科大学は問題なんだよ、異質の意見をもった教師・学生どうしの交流の機会が少なくてね。単科でも、文系より理系が問題だな、何しろ視野の狭い者が多すぎるからね。理系一般でも、理学部より工学部が問題だな、理念と無縁な者が多すぎるからね。」私は工大に着任後、事あるごとに、この言葉の思想内容を、何事にも例外者がいることを認めながらも、じっくりとかみ締めつづけたものである。

 問題の根は、日本の学問体制全体にある。日本では明治政府の施策によって文科(人文社会科学)と理科(自然科学)に学問が分けられ、(旧制)高等学校教育でもその区分が行なわれていた。それは元来、後進国として殖産興業を進め、先進国に追いつくための政策であり、帝国大学(cf.明治10年「東京大学」→明治19年「帝国大学」→明治30年「東京帝国大学」→1949年「(新制)東京大学」)に工学部を設置するなどの試みによって現実のものとなった。文科と理科の区分は、今でも文科省[cf.明治4(1871)年「文部省」→平成13(2001)年「文部科学省」]などでは通用しており、また高校生の進学志望に際しても適用されることが常態化している。
 この区分・分離―文科と理科は互いに相容れない別の学問であるという認識―は、文化学術上の後進国としての日本特有のものであり、世界に通用するものではない。欧米の大学では、文科と理科の区別そのものがなく、まさしくリベラル・アーツの伝統が根づいている。例えば、マサチューセッツ工科大学(MIT)は日本では理科系の大学と思われている―事実、武蔵工大工学部の教員のほとんどがそう思念している―が、ポール・サミュエルソンやロバート・ソローのようなノーベル賞を受賞した優れた経済学者を抱えている大学である。
 [ちなみに、リベラル・アーツとは、西欧の中世において教養の必須科目とされた七つの自由学科(自由七科)のことで、文法・修辞学・論理学の初級三科と算術・天文学・幾何学・音楽学の上級四科から構成されており、近代においても教養教育の中心に置かれている。その起源は古代ギリシアのプラトンの「哲人」教育、さらにはソクラテスの「無知の知」⇒「魂(プシュケー)の世話」にまでさかのぼる。] 
 問題はリベラル・アーツがまっとうに理解されない現代日本社会の状況下で、どれほど多くの不都合・不祥事・大事故がもたらされるかである。環境汚染やエイズの問題、そして今ここにある危機―フクシマにまで思い至れば、事態が人間に関わるかぎり、技術としての科学の問題であると同時に、社会機構や地域社会の全体状況の問題であることは、誰の目にも明らかであろう。

 工大・工学専攻の教員の多くは、「タコツボ」的な専門構造の囚われ人として、内面性の自由を損ね、他者に対する想像力を養うこともなく、感性から分離した専門知が自己媒介的に増殖する世界に安住してしまう。彼らの視野狭窄には、目に余るものがある。かてて加えて、手が付けられないのは、彼らが視野の狭小さを自覚できずに賢しらをする・背伸びをすることである。彼らは専門=特定の分野に対する知=専門知(⇒技術知)の限界を知らずに、当の知を専門外=他の分野に適用し、何事にも通暁していると思い込んでいる(⇒ソクラテスのいう「無知」)。まさに「針の穴から天のぞく」事態がまかり通ることになる。(この点、先のZとI、二人の教師の場合には、自らの専門知のあり方を反省する「良心」(→ソクラテスのいう「無知の自覚」)を、なにがしか見せているところに一定の「救い」がある。)
   
 私は工大教員の「タコツボ」的たたずまいを知れば知るほど、どれほど呆れ果て、愕然たる思いに浸ったことだろうか。その具体的な例は、枚挙にいとまがない。ここでは、特に大学教師として重要な舞台である、教授会や委員会における彼らの振る舞い方(行動様式)に焦点を絞って、その愚かしくも由々しい問題のありかを見定めてみたい。
 そもそも彼らは大学人(大学という一「全体社会」の構成員)として致命的なことに、民主主義という制度が「手続きによる正当化」という論理を備えている問題にまるで無知であった。要するに、彼らの場合は、社会科学の教養がないということが決定的なのである。
 
 民主主義は元来、制度と人々の意思とが互いに基礎づけあうという意味で、自己準拠するシステムである。民主主義が現実の制度として機能するゆえんは、それが意思決定の合法性(手続き的な正しさ)に基づくからである。人びとの意思決定を形成するための手続きが正しく踏まれたかどうかが、民主主義における最終的な正しさの規準になる。ここでは、合法的手続きによらないで、制度を改変する作用が「暴力」とされ、一切の暴力が意思決定のプロセスから排除される。
 教授会は現代日本の民主主義下、大学における「重要な事項を審議する」(学校教育法第93条第1項)機関である。そして、各種の委員会はその教授会の下部組織である。教授会および委員会は基本的に、投票(多数決)原理に見られるように、構成員の誰もが対等な資格で意思決定に参加できる手続きを備えている。そこでは、自立的な個々人の自由(言論の自由、思想・信条の自由)を尊重することが前提とされている。人間一人一人が異なった意思(意見)を持っていること。めいめいが何を考えようと、誰に投票しようと、いつ自分の意見を変えようと、それは個人の勝手であり、それを誰からも強制されたりしないこと。この「近代的個人」のあり方を暗黙の前提条件にして、大学の諸機関・会議が運営されている。
 
 ところが実際上、工大の「タコツボ」的人間にとって、会議における自己主張よりも、会議の「空気(雰囲気)」をどう読むかが先決問題であった。彼らは会議の空気の流れをつかめば、自分の意見(臆見)などはどこ吹く風、その流れに身を任せる。そこでは、彼ら一人ひとりが「個」=行為者としての独立性を失い、「場」における「関係の存在」、つまり対人関係の中に埋め込まれた、他人とは未分化な「孤」⇒「群れ」に成り果てる。彼らは場の空気=「関係の総体」的状況下の流れ=大勢に同調するほどに、独自な「個」を締めつけ、関係の中の部分に拡散させてしまう。この「大勢順応主義」における「大勢」とは、概して当該組織の構成員の支配的多数を意味するものの、実態に即してとらえ返せば、主導者(計画性)と同調者(偶発性)の独特の混合状況が何らかの権力・権威に方向づけられて動態化するメカニズムそのものである。「タコツボ」的存在者の存在の根底には、大勢=「関係のメカニズム」から外れることを許さず、それへの同化を強要する不断の圧力(外圧⇔内圧)が働いてやまない。
 この問題状況はもちろん、工大の全体状況との相関関係にある。全学的な「情報の公開化」&「意思決定プロセスの透明化」(⇒開放制)の進展度に応じて、対人関係連鎖が緩やかであるか密閉的であるかの段階的な差が生じる。一体に個々人の「タコツボ」専門度が増せば増すほど、場の関係のメカニズムがどんどん収束して、「個」が「孤」⇒「群れ」と化していき、やがて関係の修復不能な危険水域に突入してしまう。ここでは、ややもすれば超法規的な蛮行(暴力)が牙をむき、流言飛語が乱れ飛び、根回し・密談・付け届けなどの因循姑息な慣行がはびこり、おまけに「自分が言ったり考えたりしたことで、処罰を受けたり不利益を被ったりしない」とする民主主義の最低限のルールも踏みにじられる。
 それはもはや、少数意見を尊重する「討論(発言)の場」では、到底ありえない。大勢志向の諸会議に、明日に向かっての議論百出、活発な言論の展開は望むべくもない。現実の問題として、何かを決めようにも枝葉末節にこだわり何も実質的なことが決められず、既成概念にとらわれ現状を追認するのが関の山では、審議機関・意思決定機関としての体を成すものではない。教授会・委員会・会議とは名ばかりで、それは端的に、関係者一同が自らの職場=「運命共同体」の本質意志を直感・確認するための一種の儀式といってよい。時に、個性と創造性を圧殺するような、拍手喝采、「一致団結、頑張ろう!」の唱和がそこでは、一定の儀礼の役目を果たしさえする。

 [ちなみに、前号冒頭に紹介の拙論「岐路に立つ武蔵工大―いま、なぜ大学改革なのか―」は、こう記している。「武蔵工大工学部は少なくとも90年代を通して、教授会の形骸化に象徴されるように、議論なき前例主義や事なかれ主義に毒され、創意と活力を麻痺させた、硬直的で閉鎖的な組織体でありつづけた。冷酷な椅子取りゲーム―学生に対してより多くの教育的付加価値を付けることのできる大学のみが生き残れる時代―が始まったにもかかわらず、あろうことか大学内には、すべてを先送りし、アイマイなままに妥協や手直しだけで切り抜ける官僚主義・形式主義・秘密主義・大勢順応主義が跳梁しつづけた。」(93頁)]

 私は専門知・技術知の「タコツボ」化の病弊を思い知るとき、躊躇なく断言する。「タコツボ」型専門人、すなわち「知の専門性を相対化できず、“専門バカ”に安住する者」に、(Iが自省の念に駆られたごとく)教師、すなわち「発達する(可能性・柔軟性に富む)子供⇒若者の教育に当たる人」は務まらない、と。
 そもそも彼ら「タコツボ」的教員は、人間の「文化」伝達における「知育」の本質が皆目わかっていないのである。この点を少しばかりパラフレーズしてみよう。
 ☆人類の「文化」は長い間、家庭や職場そのものの中で、コツと勘―「人格知(パーソナル・ウィズダム)」―によって体ごと伝わった。→(近代)自然科学の成立によって、コツと勘は少しずつ解体され、測定に基づく「量」化された事物の諸関係の客観的な実証=理論知の地平が開かれた。→人類は「学校」という特別な場所で、多数の人々(子供の集団)に一斉に、文化の一部としての、近代的な理論知・専門知・技術知を分かち伝える(⇒知育)。
 ☆問題はこの文化の分かち伝えに絡んで、まかり間違うと大きな危機が広がることである。
 一つの危機:文化をただ、ひたすら分かち伝えることが知識=専門知を詰めこむという分節的な過程に容易に転化すること。近代学校教育の要(かなめ)たる知育の自己展開は、子供を底のない袋のように、知識の注入=詰め込みの対象物と見て、詰め込めば詰め込むほど子供は賢くなるとする「注入教育=詰め込み教育」に行き着くことになる。
 もう一つの危機:文化のすべて(全側面)が分かち伝えの方法で伝わると誤って―予断や偏見で―思い込むこと。近代学校の「知」育の盲点は、分かち伝えができるのが文化の中の知的側面にすぎない点を徹底できず、伝えきれない部分、とりわけ事柄の情動的・感情的な面が厳存する点をとかく忘れがちor軽視しがちになることである。
 ☆では、この2種の(相互関連的な)危機を回避or克服するために必要な最善の努力は、何であろうか。それはほかでもない、学校全体が、中でも教師が子供を(受動的な)対象としてではなく、(能動的な)主体として扱うことである。⇒子供が主体として維持されるかどうかの剣が峰・分岐点は、子供一人一人が自らの認識主体の形成に関わる「なぜか」の問い―原因・理由を問う内心の声―を、どこまで発しうるかにある。⇒個々の子供に「なぜ」という問いがあるかは、ひとえに知が「教師-子供」相互間で協同的・探求的に獲得されるかにかかっている。⇒そして結局のところ、子供の「なぜ」の問いをそれとなく促す、教師との自由な知的交流は、探検的・冒険的な雰囲気が広がる、芸術的な気分があふれる、「開かれた学校」の全体的文脈においてはじめて、十全に実現可能な形をとることができる。

 武蔵工大の工学専攻の教員は、おおむね専門知の専門性に無原則にのめりこみ、「専門」教育の秩序を安定させ、その効率的な指導と実践を保障することに血道を上げている。
 しかし、ゆめゆめ忘れるなかれ、教員の相手たる子供⇒若者(幼児・児童・生徒・学生)それ自体が、「学ぶ=学習する」ことよりも「生きる=暮らす」ことを優先する、その意味で全体的な存在であることを。だから、教師=教育者にとって「学ぶ」ことに「生きる」ことを従属させ、いかに巧みに自らの指導へ子供⇒若者を取りこむかが重要なのではない。そうではなく、「学ぶ」ことの「生きる」ことに対する二次性を踏みはずすことなく、子供⇒若者自身の自立的・自律的な自己形成の営みに、「教える者」としてどこまで同行・同伴しうるかが決定的に重要なのである。
 彼ら「タコツボ」的存在者―武蔵工大(←【育英会】ムラ)という“詩”を失った空間に漂い、集団同調性バイアスのかかる専門の「タコツボ」に生息する研究者―は、大学「教師」となるべく、どうすれば「専門」知の問題性を引き受けつつ、その「タコツボ」から抜け出すことができるだろうか。いや、彼らがいかに、あれこれ努力を試みようとも、その一切合切がしょせん「シジフォスの岩」or「賽の河原の石積み」のような空しい行為でしかないのだろうか―。
by tadyas2011 | 2011-08-15 23:56 | 安田塾以外 | Trackback | Comments(0)
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