安田塾メッセージ№16      市民大学

 皆様へ
                                   2010年9月5日 安田忠郎
                世田谷市民大学における私の講義
 

 私はこの9月16日~12月9日の各週木曜日、「世田谷市民大学」において、2010年度「人間コース・後期1時限」の講義を担当します。
 講義名は「人間観の基底―日本人における『個』の自立の可能性を考える―」。
 回数は全12回、時間は各回80分(9.40~11.00a.m.)です。受講者は110名前後に上ります。
 

 世田谷市民大学は、1981年4月に「市民のための新しい大学」という理念のもとに開学し、たんなる「生涯学習」とは一線を画したシティズンシップの形成をめざすリベラル・エデュケーションを励行しつづけ、ちょうど今年で30周年を迎えました。今では他に類例を見ない特色ある市民教育機関として広く注目される存在となっています。

 私が世田谷市民大学の講師を進んで引き受けたのは、受講生が話者である私の良き聴者となることは間違いないと判断したからにほかなりません。その大部分は、私と歴史的現実を共有した同時代の人々です。そうした彼らなら、1960年代以降の私の思想的・実践的営為に素朴な共感をいだくとともに、私の「経験⇒理論」的な探求精神にもとづく「世界の中の日本&日本人」論に格別の関心を寄せることでしょう―。

 なお、私は先日、市民大学事務局に講義の「概要」(A4判)を提出しました。以下に転記して、皆様のご参考に供します。



世田谷市民大学 2010年度後期
【講義】人間観の基底―日本人における「個」の自立の可能性を考える―
【担当】安田忠郎
Ⅰ.講義概要 
 私のライフスタイルは、一個の「個」への徹底において可能的な全体性を生きようと努めるものです。それは私の人生行路上、とりわけ1960年代以降の時代状況との思想的格闘を通して培われた生活信条にほかなりません。
 私が「個」に徹して他者・世界へ開かれるとき、そこでは主として次のようなテーマが手繰り寄せられることになります。
①幕末維新期に来朝の欧米人(特にイザベラ・バード)が展開する「日本及び日本人」論
②日本の近代化とナショナリズムの問題―「開国」とは何か
③私の諸国(特に米国ニューヨーク)行脚に照らした特殊日本的エートス
④西洋教育思想(特に「ソクラテス-プラトン」問題→ルソー→アダム・スミスの思想的脈絡)における「人間」の問題
⑤西洋哲学(特にカント→フォイエルバッハ→キルケゴール→ニーチェ→ハイデッガーの思想的脈絡)における「人間」の問題

 講義では回数12回のうち、時間配分上、目安として前掲①~⑤の各テーマに2回ないし3回相当が割り当てられます。
 ただし私の場合、実際問題としては経験知と理論知の緊張関係にもとづく、①~⑤のテーマ間の相互乗り入れ(往還)が頻繁をきわめます。したがって、便宜上①から講義をスタートするとはいえ、事の次第を必ずしも形式的に①~⑤の番号順を追って進めるものではなく、例えば①に際しては適宜②及び③の題材が深く関連してくるという具合に、各テーマがあくまでも総体的な講義の一環として有機的に位置づけられることになります。
 ここでは講義ができるだけ説得性を持つために、具体と抽象の相互作用の観点から、何よりも③の個人的な諸種の体験知が他の諸テーマの基底部を色とりどりに縁取るように最大限の配慮が払われます。
 講義全般の志向するところは、「人間/日本人とは何か」(本質)を、また「人間/日本人はいかに生きるべきか」(当為)を同時並行的に考察するとともに、その根本的な問いに対する可能的な応えを「世界の中の日本」の視座から模索することにあります。

Ⅱ.参考文献
・安田忠郎『人間観の基底―マルクスからフォイエルバッハへ』JCA出版、1994年
・阿部謹也『ヨーロッパを読む』石風社、1995年
・阿部謹也『ヨーロッパを見る視角』岩波書店、1996年
・渡辺京二『逝きし世の面影―日本近代素描Ⅰ』葦書房、1998年
・渡辺京二『黒船前夜―ロシア・アイヌ・日本の三国志』洋泉社、2010年
by tadyas2011 | 2010-09-05 00:00 | 安田塾以外 | Trackback | Comments(0)
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