安田塾メッセージ№14      第6回安田塾の講演概要

                                   2010年8月10日 永町匡世
第6回安田塾(2010.7.24)の講演
本能寺の変 427年目の真実通説も新説も覆す『歴史捜査』―」
【講師】明智憲三郎(あけち・けんざぶろう、第一情報システムズ常務取締役)
【会場】武蔵野商工会館4階・市民会議室 
a0200363_1642139.jpg
 
 明智さんによる講演の概要を、当日配られた各種の資料をもとに簡単にご紹介します。
 大きく八つのテーマにわけて語られました。

 まず、自身の研究姿勢について
(1)「なぜ私は真実にたどりつけたか」
・今まで容認されてきた「軍記物」の記述を排除し、信憑性のある証拠のみを採用した。
・光秀の信長に対する「私情」論を排除し、光秀を一人の「経営者」としてとらえた。
・答えの先出しと、論理の後付けを排除し、証拠に基づく答えを合理的に導いた。

 そして本題へ
(2)「誰が『通説』を作ったのか」
・光秀⇒怨恨説・野望説・単独犯行説、家康⇒「神君伊賀越え」、秀吉⇒「中国大返し」などの通説。
・光秀亡き後、秀吉の命で書かれた、大村由己『惟任退治記』→江戸時代の軍記物→現代の小説やテレビドラマなどから検証。
・結論→通説(⇒俗説・虚説)を作った大本は「豊臣秀吉」。

(3)「光秀は信長を怨んでいたか」
・信長の性格や二人の仲を『惟任退治記』、太田牛一『信長公記』から検証。
・結論→信長と光秀は信頼しあっていた。光秀は信長の腹心であった。

(4)「光秀の謀反の動機は何か」
・「愛宕百韻」で光秀が詠んだ句、「時は今あめが下しる五月かな」の秀吉による改竄。
・光秀が「土岐氏」であることの重要な意味性。
・信長の国家戦略、つまり長宗我部征伐・徳川つぶし・光秀移封などから検証。
・結論→光秀の謀反の動機は「土岐氏」滅亡を防ぐため。

(5)「なぜ光秀は謀反に踏み切れたのか」
・家康の「神君伊賀越え」の真相、家康の岡崎帰着後の行動、安土城天主放火事件、イスパニア人の証言などから検証。
・結論→光秀は家康と同盟を結んでいた。

(6)「なぜ光秀の謀反は成功したか」
・信長が家康を滅ぼす最善の手とは?
・「本能寺の変」当日の家康の行動、信長の中国出陣、兵たちの証言、信長の最期の言葉などから検証。
・結論→「本能寺の変」は、もともと信長が計画した家康討ちだった。

(7)「なぜ光秀の謀反は結局、失敗に終わったか」
・秀吉の「中国大返し」、杉原家次・細川忠興・安國寺恵瓊らの行動などから検証。
・結論→秀吉はあらかじめ準備万端整えていた。

(8)「後日譚」
・家康の光秀への恩義の事例を検証。

 講演は上記①~⑧の全体的脈絡をたどりながら行なわれました。

★☆ 明智さんは今、使命感に導かれて、400年以上にわたって歪曲されてきた歴史を書き変えるという難事に敢然と挑まれています。「本能寺の変」の真実を天下に普及するために、2009年3月に『本能寺の変 427年目の真実』(プレジデント社)を著わし、2010年1月2日にブログ「明智憲三郎的世界 天下布文!」を自ら開設し、そして数多の講演活動を積極的にこなしつづけて、現在にいたっております。
by tadyas2011 | 2010-08-10 00:00 | 安田塾の事後報告 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://yasudajuku.exblog.jp/tb/12042490
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。