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安田塾メッセージ№5       第3回安田塾の講演録        

 皆様へ                                                      
                                   2009年11月10日 永町匡世 

 私は10月24日の第3回安田塾に出席しました。
 原田淳さんのご講演を拝聴しました。重厚な体験にもとづく貴重な言葉にあふれたお話でした。
 私としては、話だけで済ますのはいかにも惜しいと考え、その講演内容を記録・要約しました。細大漏らさず書き記した講演録には程遠いものの、私の努力の所産をあえて皆様のご参考に供します。
 なお、この講演録は私の原文に原田淳さん→安田忠郎さんが修正を加えて成ったものです。お二人のご尽力に心より感謝いたします。

第3回安田塾(2009.10.24)の講演       
「一筋縄では行かない生徒たち~ニューヨーク・ブロンクスでの体験を通して~」
【講師】原田淳(はらだ・じゅん、獨協中学・高等学校教諭)
【記録者】永町匡世(ながまち・まさよ、ライター)
安田塾メッセージ№5       第3回安田塾の講演録               _a0200363_15491061.jpg
安田忠郎さんの序言:
「これから2時間ばかり、原田さんはニューヨークと日本を往還した、内容のある興味深い話を熱意をもって語られます。彼は人間として、そして教師として、力一杯生きつづけてきました。自己に忠実な、誇りに満ちた彼の生き方から、今日ご出席の皆さんは、教師とは何か、そして人間が生きるとはどういいうことかについて、大きな示唆を受けるにちがいありません―。」

そこは、ニューヨークの貧困地域!
「こんな学校の教師にはなりたくない!」
ベテラン教師にそう言わしめたほどの高校における新米教師の奮闘記!


 第1部 「私の履歴書」
◆ 学生時代
千葉大学経済学部に学ぶ。
英語が好きで、成人後、「英語オタク」になった。TVドラマ「スクール☆ウオーズ」に感動し、「自分も熱血教師に!」「日本の英語教育を変えるぞ!」「不良たちと格闘したい!」という熱い思いを抱く。

◆ 会社に就職して
民間企業で経理や営業を担当。待遇は良かった。が、英語への熱い思いが消えない。5年後退職。

ニューヨークのコロンビア大学ティーチャーズカレッジで、英語教授法を学ぶ。
学位を取得し、1年間の就労許可を得る。就職先を求めて、日本人学校に電話をしたが、学校の事情で、専任での就職はかなわなかった。

「ブロンクスなら就職の可能性があるぞ」との助言を得る。
ブロンクスは貧困地域で、教育現場は荒廃している。原田いわく、「やけのやんぱちで、ブロンクスにある全校50校に就職希望の手紙を出しました。」
公立校セオドア・ルーズベルト高校でESL、つまり非英語圏の子供たちに、英語を教える教師となる。生徒は主に英語が未熟な移民の子たちである。

★ 写真によるブロンクス地区の紹介
荒れた空き地、古びたビル、割れた窓ガラス、落書きだらけの壁、ゴミが散乱する街角、薄汚れた狭い建物の中で暮らす大家族、排泄物の匂いに満ちたエレベーター…。
圧倒的多数がスペイン語をしゃべるため、街の看板はスペイン語。そこに英語の注釈がつく…。
ちなみに、日本人野球選手・松井秀喜が所属する、メジャー屈指の名門球団「ニューヨーク・ヤンキース」は、この地区の希望の星でもある。

セオドア・ルーズベルト高校で
(1)生徒の大半はヒスパニック系。担当のクラスの生徒数は34名、彼らのほとんどがドミニカ共和国・プエルトリコなどのカリブ海の国の移民の子。

(2)教師も、アジア・ヒスパニック・アフリカなど、多人種
教科主任だけが、アメリカ人。主任は「苦労しながら英語を勉強した人こそ、子供たちに教えるべきです」という考えの持ち主だった。

(3)先輩教師からのアドバイス 
▪ 「今日が初日の授業だ」とは生徒に決して言わないこと。なめられるから。
「10年位勤めているという顔をしろ!」原田いわく、「このアドバイスは、とてもありがたかったです。」
▪ 「授業中に生徒をトイレに行かせてはいけない。」なめられるから。
1人行かせると、次から次へ行ってしまう。原田いわく、「僕は一人の生徒に1度だけ、トイレ行きを強行突破されたことがあります。が、このブロンクスで、トイレに行かれたのが『たった1度だけ』は自慢だったんです。」

(4)学校の中はどうなってるの?
学校の入口には、「金属探知機」があり、生徒による刃物の所持状況がチェックされる。
廊下には「警官」がいて、地下には子を持つ生徒のための「託児所」がある。
生徒同士が喧嘩をすると、生徒に触ることが許されない教師は廊下を行き来する警官を呼ぶ。場合によっては警官は、そのまま生徒を地下の生徒指導室へと連行する。時々、警官がいない時もある。原田いわく、「これが困りましたね!」
17歳で子供が3人いる女子生徒もいる。原田いわく、「日本では『14歳の母』がテレビドラマにもなるが、アメリカでは17歳で肝っ玉かあさんなんですよ。」

(5)授業の内容―どんなことを教えるのか
▪ 大文字と小文字の書き方。
▪ 疑問文のつくりかた。猫の絵の紙を見せ、「Is this a cat ?」など初歩的なやり取りから始める。
▪ 日本の中学1年生レベルの読み物を読ませる。

(6)生徒は「本当の初級者」と「本当の上級者」の2通りいる。
「本当の上級者」は、幼いころからアメリカにいる子で、口喧嘩をしたらペラペラ英語をしゃべる。しかし、書くことはほとんどできない。「cat」を「kat」と書いたりする。彼らは入学時のペーパーテストで成績が悪いので、初級コースに入ってくる。

(7)「Do–now」について
アメリカの授業は1コマ42分間。その冒頭に、生徒を着席させるため、3分ぐらいでできる簡単な作業をさせる。それが「Do–now」。例えば、「この10個の単語をノートに書きなさい」、「ノートと教科書を机の上に出しなさい」、「静かに〇〇なさい」など。
「Do the do–now quietly!」と教師が言っても、実際は20分かかるのが現実。
生徒が教室に入らない。廊下でたむろする。クラスに関係のない生徒が来る。教室内で走り回る。食べる、こぼす…。「ヘイ、チノー(中国人)!」と教師を挑発する。生徒同士の大喧嘩。
実際上、「Do–now」は崩壊していた。

(8)生徒の喧嘩をめぐる問題状況
喧嘩は止めてはいけない。教師は生徒に触れてもいけない。触れると、訴訟になったとき問題になるから。
教師はとにかく生徒に警官を呼びに行かせ、喧嘩の成り行きを観察し、後で報告できるようにする。
ある時、原田は喧嘩する女生徒を止めるため、彼女を後ろから羽交い絞めにしたことがあった。
「Don’t try to be a hero!」原田いわく、「つまり、かっこつけるんじゃないわよ、と主任に言われたんです。」
そこには、警官が怪我をしても保険が利くが、教師が怪我をしても保険が利かないという現実がある。
教師は「teach」だけをしていればいいので、学校行事やクラブ指導・進路指導などの仕事はほとんどやらない。教師は警官への連絡、他の生徒の安全を最優先にする。

(9)「学校に行きたくない…」
原田いわく、「ちりがみ、紙コップなどのゴミを投げつけられたこともあるんですよ。」
「板書の際、ベテラン教師は絶対に背中を見せません。半身で書くのがいいんです。でも僕は左利きですから、半身で英語を左から書くのはしんどいんです。」そんな時にゴミが飛んでくる。
「42分間、モグラたたきでした。静かにしろ、本を出せ、ゲームをしまえ!1週間で声がかれ、2週間で僕は不登校寸前になりました。月曜の朝3時になると目が覚めるんですよ。行きたくないなって。そんな気持ちのまま地下鉄に乗っていました。今思うと、アメリカに行って教師になることを、もっと強く両親に止めてほしかったです(笑)。」
「会社の営業で、お客さんに謝っている方が楽ですから。僕は身長160㎝、相手の生徒は190㎝ですからやっぱり威圧感はありますね。」

不祥事を起こす生徒は、警官を呼び、地下の指導室に連行してもらう。
原田いわく、「説教専門のカウンセラーがいるんです。でも、説教はせいぜい10分。すぐ教室に戻ってくるので、結局は何も変わらないんですよ。」
何度も問題を起こす生徒は、その都度地下室に送られる。すると、警官に「いい加減にしてくれ!」と言われる。仕方なく、問題児の親に電話をする。だが、そこには言葉の壁がある。スペイン語しか話せない親もいるからだ。なかには、電話のない家庭もある。
「相手がスペイン語しか話せない場合、スー・イホ・アブラ・ムチョ あなたの息子はおしゃべりが多くて困ると、覚えたてのスペイン語でまくしたて、すぐにガチャっと電話を切るんです。相手の母親にスペイン語をまくしたてられる前にね(笑)。」
それでも子供には親の厳しい指導が通じているらしく、翌日その生徒は一応神妙な態度でいる。しかし、だいたい2日後には、生徒の態度は元の木阿弥だ。

◆ 帰国後、横浜のサポート校に勤める。
サポート校は通信制高校との連係を保って、不登校の生徒やいじめられっ子を扱う。
授業は9時半開始。寝坊してもいいようにとの配慮。制服は任意。学校行事も少しはある。
授業内容はレポート作成指導やスクーリング指導。

「おとなしい系」クラスでは、「一流大学」受験レベルの「優秀な」子もいれば、生きているか死んでいるか判別できない「無反応な」子もいる。
「やんちゃ」系クラスでは、元暴走族も多く、喫煙・恫喝がある。教師に対して「ヤキを入れるぞ!」、「家に火をつけるぞ!」。
サポート校では、ブロンクスとは異なり、警官はいないものの、授業はつねに不成立。
学校に来ても、男子は「飲みすぎたー」と足を机の上にのせてマンガを読んだり、机の上にごろ寝したり。女子はお化粧に夢中。注意しても生徒はニヤニヤするばかり。

 ~ここで安田塾参加者からの質問コーナー~
Q「ブロンクスの高校と日本のサポート校では、違いはありましたか?」
A「違いは言葉ですね。日本は言葉が通じるのがいい。ブロンクスでは、スペイン語でまくしたてられたら太刀打ちできないから、こちらも日本語でまくしたててやるんです。このクソガキ!ってね。それと、サポート校の生徒は、英語を学ぶ動機がない。その点、ブロンクスの生徒は英語を学ばないと生活がなりたたない。そこが違いますね。」

Q「ブロンクスの貧困度はどうですか?」
A「貧困家庭は多いです。父と名字が違う子供もいる。ステップマザー(継母)がビッチでクソ女だ、と言う生徒もいます。ポバティライン(中間層と貧困層の境界線)を下回る人々が多いです。」

Q「宗教上の問題はありましたか?」
A「特にありませんでした。」

Q「生徒たちは卒業後どうするのですか?」
A「僕の学年は、50人中6人が卒業しました。途中で留年したり、いなくなったり、タクシーの運転手になる生徒もいます。」

Q「原田さんはつらい時、どうやって自分の気持ちを立て直したのですか?」
A「僕は英語が好きで、アメリカで暮らしたいという夢が28歳でかなった。だから簡単にアメリカを離れたくな かった。生徒にバカにされないくらい英語がうまくならないと、日本に帰ってもだめだと常に思い続けた。発音も勉強した。保護者との関係は、今の日本での方が大変だ!ブロンクスでは、教師は純粋に『教える』ことに専念すればいい。進路指導や学校行事には、専門の職員がいるからだ。でも、その分給料は低い。30歳で手取り20万円くらい。ニューヨークは家賃が高いから、それなりに厳しかった。」

 第2部 「悩みを共有しませんか」
◆ 2003年より、獨協中学・高等学校教諭。
今の勤務も楽じゃない。生徒はいつも反抗期。学力は極度な二極化。保護者からの苦情は初体験であり、これには驚いた!

 ~ここで反抗期の生徒をめぐるフリートーク~
安田塾参加者二十数人が4班にわかれ、日本の「一筋縄では行かない生徒たち」について話し合った。
家に愛人を連れ込む父親、教師を階段からつきおとす小学生など、各班の代表者から、種々の生々しい体験談が発表された。

 最終章「だけど、こんないいこともあった!」
▪ ブロンクスにて
原田いわく、「教室に入っちゃダメだよと生徒に言われ、また悪さかと思ったら、教卓にケーキが準備されていました。生徒たちが僕の誕生日を祝ってくれたんです。」
ケーキを前にした、原田と生徒たちの笑顔の写真が披露された。「僕が英語の授業で、『私の誕生日は◯◯です』なんて例文を使ったことを覚えてくれていたんですね。」


▪ サポート校にて
原田いわく、「僕がサポート校をやめるとき、ある女生徒が手紙をくれたんです。」
ここで、やおら「太陽にほえろ!」のBGMとともに、その手紙が読み上げられる。
「先生、先生のこと大好きだよ。なんで行っちゃうんだよ。悲しいよ。私たちのこと忘れないでよ。また戻ってきてよ。絶対だよ!」
反抗したい!でも、本当は先生が好き、という揺れ動く女子の気持ちがいっぱいの手紙だ。
原田いわく、「『太陽にほえろ!』を、この手紙のBGMにしたくて、わざわざ重たいデッキを幹事さんに持ってきてもらったんです。」


安田忠郎さんの結語:
「私がブロンクスで見た、原田さんの授業光景は、ダイナミックでスサマジイものだった!全精力を注ぎ込んだかのようだったね。授業後、彼とカフェで一服したが、彼はあまりの疲労で、眠ってしまうほどだ。私がたまたま彼のクラスの一女生徒をつかまえて、『Mr.原田はどんな教師だ?』と質問したところ、彼女はHe's a good teacher. と即答した。彼の溌剌とした飾らない肉声が、バイタリティーに満ち溢れたヒスパニックの少年少女の胸にびんびん響くんだろうな―。」