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                                   2011年12月5日 谷川建司
                      

 私は第12回安田塾(2011年10月29日)で、「ハリウッドと日本のアカデミア」と題するお話をしました。
 話の前半は、日本のアカデミアにおける映画のポジションに関するものでした。
 このテーマに関連して、私は以前、“日本における映画研究がどのような状況にあるのか”を考察し、「日本の映画研究の動向と日本映画の現状」という文章にまとめました。それは直接的には、日本のポピュラー・カルチャーを学ぶ香港大学の知人から依頼されたものでした。
 今回、講演の機会に恵まれたこともあり、同文を安田塾ブログに投稿させていただきます。
                     
              日本の映画研究の動向と日本映画の現状
はじめに
 本稿では、日本映画、日本の映画作家、そして日本の映画産業界の状況などに関心を持ち、これを学問の対象として取り上げていきたいと考えるような、大学院クラスの研究者を主たる読者と想定して、彼ら・彼女らにとって研究を始めていく上でのベースとなるような基本的情報―具体的には、日本において映画というメディア/芸術形態/娯楽が発達してきた過程の中で、それが学問の対象としてどのように取り上げられてきたのかについての概観、そして現状において日本の映画産業界がいかなる状況下にあって、今後いかなる方向に向かいつつあるのかについての現状分析―を整理することを目的としている。

1. 日本にフィルム・スタディーズという学問領域は確立されているか
 周知のごとく、フィルム・スタディーズといえば欧米では歴史も実績もある研究分野のひとつとして長年にわたる研究の蓄積がなされてきた。大学などの高等教育機関においてもフィルム・スタディーズを専門的に教える大学、学部、学科というのは珍しくはなく、映画を扱う学問領域の総くくりとしてのフィルム・スタディーズという枠組みが大事にされ、そのイメージがある程度共有されているように思える。
 だが、日本においてフィルム・スタディーズ、あるいはそれをそのまま日本語に訳した場合の映画学という学問領域がきちんと体系だって確立されていて、その学問領域の扱う対象やそのアプローチ方法などについての共通の認識が確立されているか、と問うたときに、残念ながらそれに対してはどちらも“否”という答えが返って来ざるを得ない。
 しかしながら、それは日本において映画の歴史が学問の対象にするだけの十分な長さや質を備えてこなかったわけでも、映画に関する言説の絶対量が少ないからというわけでもない。日本の映画の歴史はすなわち映画というメディアそのものの歴史と同じだけの長い蓄積を有しているし、映画についての言説の絶対量についても(一概に他国と比べて多いか少ないかということは言えないにしても)、むしろ膨大なものであると言うことが出来よう。では、なぜ日本ではフィルム・スタディーズあるいは映画学と呼べるような学問が体系だって確立されていないと考えられるのか。
 理由のひとつは、フィルム・スタディーズあるいは映画学を専門領域とする者であれば須らく所属しているような、その学問領域の母体となるべきプラットホームとしての学会が存在していない現状に端的に示されている。もちろん、日本映像学会や日本マス・コミュニケーション学会のように、映画に関する研究を大いに扱い得る学会というものはあるにしても、共通の作法としての研究のアプローチ方法やバックグラウンドを持つわけではない個々の研究者がそれぞれの庭において研究し、発表しているだけで、互いに交流がほとんどないというような現状が認められるのである。
 美学・哲学・文学といった人文科学系の研究者が映画を研究対象として扱う場合、ほとんどの場合は表象文化論という言葉に集約されるような、映像のテクスト分析の手法を唯一絶対のものとして信奉する傾向がある様に思われる。しかしながら、一方で映画というものを産業として、あるいは制度・文化政策・オーディエンスに対する効果といった社会科学的な関心から研究対象として取り上げる場合は、あくまでも実証的なデータというものに頼った社会学のアプローチ方法になる。
 平たく言えば、たとえば文学研究と同じ手法で映像作家の作品を分析するとしたら、文学において作者の個人的体験がいかにその作品に投影されているかというような、表現者の側の考え方、映像に込めた意味が絶対的に重要であるとみなされるのに対して、筆者を含めて社会学を学んできた立場で言えば、映画作家が自身の映像にどのような意味を持たせているかについてよりも、大多数の観客がその映像作品をどのように受け取ったかの方が意味としてははるかに重要であり、映画というものは流通の仕組みに乗り、観客と接してはじめて何がしかの意味を持つ、というのが映画研究の立脚点ということになる。
 こうした、同じ映画という研究対象に関心を持つ研究者であってもそのスタンドポイントの違いによって相互に繋がりを持たず、したがって両者に共通した尺度を持つ同業者による本当の意味での吟味(ピア・レヴュー)が行われることなくそれぞれに独自に研究が行われているというのが、日本の映画研究の現状であり、問題点であると言えよう。
 もうひとつの理由は、映画に関する重要な研究というものが、必ずしも学術論文というフォーマットに含まれ得る範囲だけに存在しているわけではない、ということである。実際のところ、個々の映画作品や映画作家についての言説のほとんどのものは、論文ではなく評論やエッセイというカテゴリーに入れられるものであり、どういったフォーマットの場合に学術的な価値があり、どういった場合はないのかという基準を作ること自体が難しい。論文としての体裁を整えていないものを日本の映画研究の過去の蓄積から除外してしまうとなると、かなりの数の重要な研究が考慮されないことにもなりかねないのである。これはつまり、映画という関心対象に関して言えば、アカデミズムとジャーナリズムの線引きなど実はあまり意味を持たないということでもある。
 ともあれ、本稿においては、人文科学的映画研究と社会科学的映画研究との間の乖離、そしてアカデミアにおける映画研究と映画ジャーナリズムとの曖昧な区別、といった問題意識を前提としながらも、それらすべてを含めた形での“映画研究”というものがあるとヴァーチャルに仮定して、その歴史や現状について考察していくことにする。

2. 日本における映画研究の潮流と傾向
 日本における“映画研究”の歴史を概観する上で、まずは便宜的にいくつかのカテゴリーに分けて考えてみたい。具体的には以下の五つのカテゴリーである。
(1)映画書誌
(2)映画史研究
(3)映画作家・映画人研究
(4)映画作品論・ジャンル研究
(5)映画政策論・映画産業・観衆論
 以下、五つのカテゴリーそれぞれについて若干の整理を試みたいが、本稿においては紙幅の制限もあるため、比較的近年になって刊行され、入手し易い文献資料についてのみ取り上げることにし、より詳しい日本の映画研究の動向については以下の二編の論文を紹介することによって、関心のある方への便宜としたい。すなわち、映画の黎明期から戦時中にかけての概観としては、牧野守「映画書誌の創生と年鑑に到る映画ジャーナリズムの動向」(岩本憲児・牧野守監修『映画年鑑』昭和編別巻Ⅰ、日本図書センター、1994年)、また戦後の概観については、谷川建司「“戦後の映画”についての研究動向」(メディア史研究会編「メディア史研究」Vol.18、ゆまに書房、2005年)である。

2-1. 映画書誌
 日本における映画研究史にあっては、その黎明期からかなり自覚的に映画書誌編纂への努力がなされてきた。近年の成果の多くはそれらの恩恵の上に初めて成り立っているものであるが、映画図書については辻恭平『事典 映画の図書』(凱風社、1989年)、日外アソシエーツ『映画・音楽・芸能の本 全情報45/94』(1997年)、『映画・音楽・芸能の本 全情報95/99』(2000年)が、映画雑誌については本池陽彦『日本映画雑誌タイトル総覧』(ワイズ出版、2003年)が手頃な情報源であろう。

2-2. 映画史研究
 日本における映画研究の中で、叢書のような形で映画史家の多くが加わったような日本映画通史の決定版的なものはまだなく、個人として佐藤忠男が『日本映画史』全4巻(岩波書店、1995年)を出したのが目立つくらいである。森話社の『日本映画史叢書』全11巻(2004年~)はテーマ別編成で通史ではない。岩波書店の『講座日本映画』全8巻は資料紹介とエッセイであり、あとは個別の時期や場所にのみ焦点を絞ったものということになるが、それらについては数多くの映画研究者がそれぞれ意欲的な研究成果を著している。

2-3. 映画作家・映画人研究
 映画作家研究は古くから盛んであるが、それは即ち日本における映画研究が“作家偏重主義”的傾向を有していたことの証でもある。黒澤明、小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男といった黄金期日本映画の巨匠たちに始まり、増村保造、鈴木清順、岡本喜八のようなプログラム・ピクチュア時代における作家性の強い監督たち、そして北野武、宮崎駿、押井守といった現代における影響力の強い作家に至るまで、作家研究は主として文学・表象文化論の立場からの研究として盛んであり、かつ欧米におけるフィルム・スタディーズの場合と同様に研究対象がマイナーな方向へと蛸壺化していきつつある。作家研究においては作家名での検索が容易なので具体的な研究成果を紹介することは割愛するが、ちなみに俳優論についても同様の蓄積と、同様の蛸壺化の傾向がある。しかしなから、プロデューサーや撮影監督、それ以外の映画人研究となると途端に心許ないというのが現実であろう。

2-4. 映画作品論・ジャンル研究
 映画作品論として取り上げられる個々の作品というのは、上記の映画作家研究と当然ながら密接な関係があり、各論としての個々の作品論を積み重ねた上に作家論があるという側面がある。従って、近年の映画作品論として目に付くものも、上に挙げている作家についてのものが多い。千葉伸夫「置換・表象・歴史――『ペール・ギュント』から『雨月物語』へ」(四方田犬彦編『映画監督 溝口健二』新曜社、1999年)、斉藤綾子「失われたファルスを求めて――木下恵介の“涙の三部作”再考」(長谷正人・中村秀之編著『映画の政治学』青弓社、2003年)、與那覇潤「小津安二郎と帝国史の方法――ひとつの〈反〉ポストコロニアル批評」(坂野徹・慎蒼健編『帝国の視覚/死角――〈昭和期〉日本の知とメディア』青弓社、2010年)、「黒澤明研究会」を主宰する都築政昭による黒澤明の個々の作品論シリーズ(朝日ソノラマ刊)などが目に付く。ジャンル研究はまだ手薄感があるが、たとえば日活無国籍アクション映画とか岩波映画(文化記録映画)などのようにそれまであまり光が当てられていなかった分野に対して研究対象として取り上げようという動きが顕在化しているのは今後の日本映画研究のひとつの方向性として注目に値する。

2-5. 映画政策論・映画産業・観衆論
 社会科学的映画研究として近年最も目覚しい進展を見せているのがこの分野である。具体的には、映画政策論として戦時中の国家による映画統制・検閲などへの関心が高まっていて、ピーター・ハーイ『帝国の銀幕―十五年戦争と日本映画』(名古屋大学出版会、1995年)、加藤厚子『総動員体制と映画』(新曜社、2003年)、牧野守『日本映画検閲史』(パンドラ、2003年)といった意欲的な研究成果が発表されているほか、加藤幹朗「映画館と観客の歴史―映画都市京都の戦後」(「映像学」第55号、1995年)、谷川建司「戦後映画における観衆」(吉見俊哉・土屋礼子責任編集、叢書・現代のメディアとジャーナリズム4『大衆文化とメディア』ミネルヴァ書房、2010年)といった観衆論などが発表されている。だが、映画産業論というカテゴリーに関してはまだまだ本格的な研究が出て来ているとは言えず、最も今後の発展の余地がある分野であろう。

3. 日本の映画産業の現状
 前節で五つのカテゴリーに分けて状況を整理した日本における“映画研究”の近年の成果の中で、手薄感のある領域として挙げたのは作家・俳優以外の映画人研究、映画ジャンル研究、そして映画産業論ということになるが、その中でも特に映画産業論というカテゴリーがアカデミックな研究として成立することがなかなか難しいのは、日本における映画産業の構造というものがその時代、時代によって大きく変質していて、かつ史的分析を試みることで現在の状況に照らし合わせて現状への理解を深めようにも、現在の日本の映画産業の状況そのものが刻々と変質してきており、たとえば昨年の状況を分析して論文としてまとめたとしてもそれが今年にはすでに古い状況についての陳腐な分析とならざるを得ない、という現実があるからではないかと思う。
 以上のような認識に基づいた上で、敢えて2011年初めの時点での日本の映画産業界の状況というようなものを整理するとしたら、以下のような項目を立て得るであろう。
(1)テレビ局主導のメインストリーム系と小規模インディペンデント系への二極化
(2)ワーナーのローカル・プロダクションの台頭
(3)産学の連携の顕在化
 以下、この三つの視点から若干の整理を試みたい。

3-1. テレビ局主導のメインストリーム系と小規模インディペンデント系への二極化
 テレビ局が日本映画の製作に深くコミットするようになったのはけっして最近のことではない。1997年に『もののけ姫』に抜かれるまで日本映画の歴代興行収入の第一位を占めていた『南極物語』(日本ヘラルド=東宝、1983年)はフジテレビとの提携があって初めて国民的映画というポジションを獲得することが出来たと言える。この成功を受けて、その後在京キー局各社はこぞって日本映画の製作に積極的にコミットするようになり、今日ではむしろテレビ局こそが日本映画政策の中心的ポジションにいて、東宝、松竹、東映などの邦画各社はその枠組みがなければ立ち行かず、独自でのヒット作製作はなかなか難しいというような主客逆転の状況にさえなっている。
 2009年から2010年にかけての作品で言えば、日本テレビの『おっぱいバレー』、『BECK』、『借りぐらしのアリエッティ』ほかのスタジオ・ジブリ作品、『インシテミル 7日間のデスゲーム』、TBSの『ROOKIES 卒業』、『ゼブラーマン―ゼブラシティの逆襲―』、『ハナミズキ』、『大奥』、『SOACE BATTLEP ヤマト』、フジテレビの『海猿』シリーズ、『踊る大走査線』シリーズ、『のだめカンタービレ』前後編、『矢島美容室 THE MOVIE~夢をつかまえネバダ~』、『ノルウェイの森』、テレビ朝日の『TRICK』シリーズ、『ドラえもん』シリーズ、『クレヨンしんちゃん』シリーズ、『仮面ライダー』シリーズ、『十三人の刺客』、テレビ東京の『アウトレイジ』、『きな子 見習い警察犬の物語』、『ポケットモンスター』シリーズ、『NARUTO』シリーズ、『ゴースト』、といった日本映画の話題作のほとんどすべてがテレビ局主体(=製作幹事会社)の製作となっている。
 一方で、小規模インディペンデント系というのは、まず興行面において地盤沈下の著しい洋画(外国映画)と同様に小さな公開規模によって何とかニッチのビジネスとして成立している感がある。但し、その中で『春との旅』、『鉄男 THE BULLET MAN』、『ソラニン』といった作品で存在感を見せているアスミック・エースにしても、『大奥』、『武士の家計簿』では松竹との共同配給、しかも前者はTBS、後者はテレビ朝日と組むことによってメインストリーム系の作品へのアップグレードによって生き残りを図っている。

3-2. ワーナーのローカル・プロダクションの台頭
 洋画配給会社であるワーナー・ブラザース映画は、中堅規模の洋画配給会社の倒産が相次ぐなど、洋画離れが著しいここ数年の配給ビジネスの中にあって、ドル箱の『ハリー・ポッター』シリーズなどの安定した作品を有しているハリウッド・メジャーの会社であるが、ここ5~6年、積極的に「ローカル・プロダクション」という戦略に力を注いでおり、着実に日本映画の一翼を担う存在になりつつある。
 ワーナー製作による日本映画としては『キューティーハニー』(2004年)あたりが先駆けということになるが、2006年の『デス・ノート』前後編のヒットで弾みをつけ、2008年には『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』、『ICHI』、『252生存者あり』、2009年には前述の『おっぱいバレー』(日本テレビ、東映と共同)、『GOEMON』(松竹と共同)、『サマーウォーズ』、『TAJOMARU』、『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』と着実に実績を積み上げ、2010年には日本テレビと組んだ前述の『インシテミル 7日間のデスゲーム』のほか、満を持して本格的時代劇『最後の忠臣蔵』を公開させた。
 ハリウッド映画の場合、そもそも監督にしろ、俳優にしろ、世界中から才能のある者を呼び寄せて発達してきたという歴史的経緯があり、主たる資本がどこから供出されているかということ以外に映画の国籍というものはほとんど意味を持たない。そのハリウッドのメジャー・スタジオが全世界マーケットを視野に入れつつ、世界各地のローカルな映画製作に乗り出しているという現実が、日本の映画産業界に今後どのような影響をもたらしていくのかについて、注視して行かなければならないだろう。
 そしてまた、ワーナーの成功を受けて、ほかのメジャー・スタジオもまた同様のローカル・プロダクションに大きく舵を切っているように見受けられる。たとえば、20世紀フォックスは2009年に『群青 愛が沈んだ海の色』、フジテレビと共同の『サイドウェイズ』で本格参戦し、パラマウントも2010年に自社のヒット作品のリメイクに当たる『ゴースト』を製作、またユニヴァーサルはキアヌ・リーヴス主演による『忠臣蔵』を3D方式によって2012年に公開予定、とまさにナショナルからトランスナショナルへの変貌によって日本映画そのものの定義を再考しなければならないような転換期にあるということが出来るだろう。

3-3. 産学の連携の顕在化
 「産学の連携」というキャッチ・フレーズはこれまでどちらかというと「学」、つまり大学という組織のアウトリーチ活動や、国立大学の独立行政法人化に伴う競争原理の表面化といった状況とともにクローズアップされてきた感があるが、こと映画産業界における「産学の連携」ということになると、前述のような日本の映画産業の構造の劇的変化という状況の中で、映画産業界側にこそ危機感が強く、大学と提携することによってコストダウンやポストプロダクションの効率化といったメリットを得ようと積極的に動いてきたという印象がある。
 具体的には、2007年に京都の立命館大学が映像学部を新設した際に、松竹京都撮影所と京都府が提携することになり、松竹の撮影所内に立命館大学のための実習室が設けられ、山田洋次監督が客員教授として同大学に迎えられたことが先駆的な事例である。この提携の成果としては、山田監督の演出の下で同大学の学生たちがスタッフとして働き、京都市内にて撮影した『京都太秦物語』(2009年)のようなアウトプットが現われ始めている。
 その後、2009年には東宝と早稲田大学との提携も発表された。こちらはそれ以前から、東宝が早大の開発したネットワーク技術を用いたポストプロダクションの効率化を図ってきたというが、提携の発表後は撮影所内に大学の研究室が設けられたりして、より一層の関係強化が図られてきている。その成果としては、『のだめカンタービレ』のCG映像などに役立てているという。
 日活と城西国際大学の場合は、日活が人材育成のために運営してきた日活芸術学院と、城西国際大学に新設された映像芸術コースとの間でカリキュラムを共有する形で、かつてそれぞれの映画会社の中にあったものの、今では失われてしまった人材育成機能を復活させようとしている。
 こうした「産学の連携」は、まだまだ試行錯誤を繰り返す中でその方向性が定まっていく途中の段階であると言えるが、大学、すなわちアカデミアという枠組みの中でも映画を中心とする映像を本格的に学問体系として位置づけて、運営の柱にしていこうという方向性は間違いなく存在しているように見受けられる。たとえば、既に15年の実績を持つ専門学校、デジタル・ハリウッドが本格的に大学、大学院としての教育を開始したり、やはり専門学校であった東放学園が2006年に映画専門大学院大学を設立したり、日本映画学校を母体とする日本映画大学が2011年度からスタートする予定であったり、と俄かに映画を学ぶ大学というのが活況を呈し始めている。

おわりに
 以上見てきたような刻々と変わり行く日本の映画産業界の状況と、アカデミアにおける映画研究の方向性とは、いったいどのように今後リンクしていくと考えられるか。そのひとつの可能性として、昨年(2010年)刊行されたばかりのある映画研究書がヒントを与えてくれている。それは、ミツヨ・ワダ・マルシアーノ『デジタル時代の日本映画――新しい映画のために』(名古屋大学出版会)という本で、前節で述べたようなナショナルなものからトランスナショナルなものへと映画が移行し、さらにそこにデジタル技術の進展がコンテンツに及ぼす影響といった観点での目配せも併せ持った論考となっている。
 一時期の“クール・ジャパン”というような日本のコンテンツ産業の海外におけるアドヴァンテージがアニメやマンガ、TVゲームといったもののみならず、“100年前のニューメディア”であった映画においても当てはまるものになり得るか/当てはまるものであり続けることができるか、という問いへの答えは、ある意味で現在バランスを失ってどちらに傾くか転がるかわからないように思える日本の映画産業界のこの先5年、10年の状況を注意深く見て行かなければ見つからないだろうが、日本の映画研究にあっては、そうした日々の変化を見つめつつ常に自らの立ち位置を確認し続けることこそが求められるのではないだろうか。